イラストレーター秋山亜軌の日記を中心としたブログです。イラストレーターとしての活動報告をはじめ、美術や映画、音楽の話、興味のある出来事など、幅広い話題を独自の意見を絡めて執筆しています。

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没後30年 高島野十郎展

先日、「没後30年 高島野十郎展」を三鷹市美術ギャラリーに見に行きました。
野十郎をはじめて知ったのは、去年頃かな。新日曜美術館のアートシーンでちょこっと紹介されただけなんだけど、すごく絵の持つオリジナリティーと存在感に惹きつけられてしまって、その時に三鷹にくるっていうのはわかってたので、今年なんとしても見たい美術展の1つになっていました。なかなかスケジュールの調整がつかなかったのですが、最終日になんとか見に行くことができました。これがなかなかに期待を裏切らないいい美術展だったので、感想を書こうと思います。
まず、野十郎という人を簡単に紹介します。近年評価が高まりつつある画家で、青木繁と同郷の福岡県久留米市出身の画家。東大の農学部水産学科を主席で卒業しながらも、周囲の反対を押し切り画家の道へ進みます。数年間小さなグループ展で活動し、その後は個展のみを作品発表の場とします。
昭和36年からは都心を離れて千葉県柏市の田園に質素なアトリエを建て、自給自足の生活をします。
「世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です。」という言葉を残し、生涯、美術の流行や画壇に左右されることのない己の絵を追求します。
野十郎という画家を一言で云うと、とてもストイックな画家であるということが云えると思います。特別な師がいるわけでもなく、特別な技法があるわけでもなく、とにかくこれでもか、というくらい写実的で、絵の対象をでき得る限り忠実に、誠実に描いている。
私的にはあらゆるエンターテイメント性、娯楽性を廃した、まるで画家ではなく、一人の僧が修行の手段として絵画を取り入れている。そんな風に思えました。そう、野十郎の絵画とは修行です。誰に見せるためのものでもなく、非常に閉鎖的で個人的でストイックな絵画。描くモチーフですら、仏教、禅を思わせるのです。
前置きはこの辺にして、内容に入ろうかな。序盤は3点の自画像で幕を開けます。

りんごを手にした自画像

3枚の自画像は数年おきに描かれています。これは3枚目。いずれも自己に対して厳しい目線が向けられており、確実に1枚目より2枚目、2枚目より3枚目、とレベルアップしています。1枚目はどこの画学生でも描けそうな感じ。2枚目にはクオリティーの高さ、安定感が出てきて、3枚目では対象のもっと奥にあるものまで描けている。
この頃、野十郎はゴッホの影響を受けていたようですが、私的にはエゴン・シーレの自画像を思い浮かべました。
ただ痛みを伴う絵でありながら、威厳のようなものも感じるのが、エゴン・シーレとは違うところ。ここに野十郎の命の捉え方の核の部分を見た気がします。

すいれんの池

自画像の後、静物や風景画の展示が続きます。静物にはセザンヌ、風景にはモネやゴッホなどの印象派の影響が垣間見え、あまり名作、良作と思うものには巡りあえませんでした。この美術展大丈夫かあ?、自画像しかいいのないんじゃないの?そんなことすら思い始めました。あまりに色数が少ない(同じ色ばかりを散らしている。)のと、朴訥すぎる風景画が続き、飽和状態になりつつありました。技量的に特に抜けているわけでもなかった。あまり色彩のセンスも線の巧みさも感じることができなかった。その中で目を引いたのは上の大きな絵。「すいれんの池」という絵です。技量がこのへんから一気に上がってきて面白くなっていきます。

流

例えばこの絵。「流」という絵ですが、この絵には単なる写実主義とは云えないほどのモノを見る執念のようなものを感じます。これこそ、この画家の才能だと思います。色彩でも線でもなく、モノを徹底的に見る力。絵は描く以上に見ることが大事だと思い知らされた瞬間が野十郎の美術展では何度もありました。この絵もその1つ。

雨 法隆寺塔

この「雨 法隆寺」という絵は最近修復によって、蘇った絵。センチメンタリズムを誘い、感情を喚起するようなこの絵に、僕は他の風景画とは違うクラシックな質を感じました。それは自分が日本人であることに大きな関係があるのかもしれないです。

ティーポットのある静物

一連の風景画の展示の後で、再び静物コーナーが始まります。ここからの展示は同じ画家が描いたと思えないくらいの腕に成長しています。野十郎の真骨頂。メレンデスに匹敵するほどの高い写実力とクオリティーを誇っています。これが自己流で身に付けた画力と思うと驚きです。それを思うと、高いテクニックを教わる以上に孤独な時間が画家には必要ということかもしれません。自分だけの世界に没頭し、周りの雑音が聞こえなくなるところまで行ってしまうこと。

からすうり

この「からすうり」という作品には、写実力の他に画面の構成力の高さも見ることができます。色数の少なさもここでは洗練されたように見え、オレンジが映えてとても美しい。からすうりというモチーフも風情があって、個人的に非常にモチーフ選びにセンスがあると思う。

無題

僕の中では野十郎作で、ナンバー1と思っている作品。一見、抽象画のように見えるこの絵は、タイトルこそ「無題」とされていますが、これはまぶたを閉じた時の残光を描いたものと云われています。この作品の前に一連の太陽を描いたシリーズがあるのですが、目を閉じても光が見える、そういった野十郎の達観した心境が見えるようで妙に感動しました。だって究極の写実でありながら、同時にイマジネーションもすごく広げてくれる絵じゃないですか。そして、闇の中の光を描くという野十郎の絵のテーマにもそっているし、全てを手に入れたような絵だと思うんです。

満月

闇の中に浮かぶ月を描くシリーズ。ただ、それだけのことでありながら、夜空は同じ風景を保っていない。月は満ち欠けするし、雲も風の冷たさも日によって全く違う。野十郎の絵に対して一番感じたのは、これといって特別なことを何もしていない、ということです。常にストイックで、神経は全てそこにあるものを見つめることに注がれています。そして晩年どんどん余計なものは削られていき、野十郎の描くべき核、骨組みが剥き出しになっていく。そう、この人は引き算の画家なのです。色数も対象もどんどんシンプルになっていきます。

蝋燭

最後の展示は「蝋燭」シリーズ。このシリーズの展示、すごくよかった。真っ暗な部屋に小さな蝋燭の絵がたくさん掛けられており、絵にピンポイントで照明が当てられています。三鷹市美術ギャラリーだけの粋な展示方法なのか、いつもこうやって展示されているのかはわかりかねますが、これがとてもドラマチックな効果を生み出しています。本当に蝋燭の炎が揺らめいているようで、生命の儚さを感じて、非常に素敵な演出と思いました(でも、絵痛まないのかなあ。)。これは上野のような権力の大きな美術館ではできない演出ですね。普通の明るい部屋で見たのでは、相当印象が違ったと思いますよ。このシリーズが最後にあることで野十郎その人の人生にも思いを馳せることができた。死ぬ時に走馬灯のように思い出が頭を巡るという。そんなイメージも喚起させるようでラストとして最高の展示だったと思います。
ただ美術館全体がクーラーききすぎなのは寒くて困っちゃったけどねえ。
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  1. 2006/07/25(火) 01:50:22|
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