イラストレーター秋山亜軌の日記を中心としたブログです。イラストレーターとしての活動報告をはじめ、美術や映画、音楽の話、興味のある出来事など、幅広い話題を独自の意見を絡めて執筆しています。

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生誕120年藤田嗣治展―パリを魅了した異邦人―

fujita.jpg

藤田展行って参りました。最高でした。
入場規制まで出て、開放時間も延ばすという、日本人の美術展としては異例の盛り上がりを見せています。ゴッホ展に匹敵する盛り上がりっぷりですね。
それもそのはず、ここでも何度か書いてきたように藤田の著作権は今まで完全に君代夫人の手によって、制限されていました。そして、それは戦争という大きな闇を避けては語れない話なのです。藤田が日本を捨て、フランス側についたと決め付けた当時の日本は藤田も作品も無視するようになり、藤田はそんな日本に見切りをつけて、フランス国籍を獲得する。藤田が戦争を賛美していたとか、陸軍だか海軍のスパイだったとか、様々な憶測が飛び交い、藤田の死後、君代夫人は著作権を封印します。日本での藤田の個展開催は、盛り上がるだろうけど、絶対不可能。それが美術界の定説になっていました。今回も君代夫人の気が変わらないか学芸員はヒヤヒヤしていたそうです。
もちろん日本が藤田を捨てたという君代夫人の気持ちもわかります。戦争は一個人の思想や意思などいともたやすく飲み込んで、右向け、右と同じ方向にまとめあげようとコントロールしようとします。今でも年配の方の中には非常に残念なことに藤田という画家に嫌悪感を持っている人もいると聞きます。僕は戦争が終わった平和な時代に生まれたので、何かに支配されたり、有無を言わさず誰かに従ったり、或いは強いマインドコントロールを限られたメディアの中で受けることもなく、そのかわり大した愛国心もありません。だから、当時の戦時中、戦後の日本を想像の範囲でしか、語ることはできないけれど、きっとどっちが悪いとか誰が悪いとか、そんな生易しいものではないのだと思う。誰もが被害者であったろうと思います。そして藤田自身もその時代に翻弄された一人です。
できれば藤田の「作品」だけで感想を書きたかったんだけど、この人の作品の遍歴を語る上で戦争画を経て、愛と平和というテーマに辿りつくので、ここは外せないと思い、前置きを入れました。これでやっと作品の話に入れます。ふう。
この美術展を開く一番の意義として感じたのは、なんといっても、藤田嗣治絵画の全貌が明らかになったということだと思います。普段、色んな美術館で1、2点バラで見られることはあっても一堂に会すということがなかったため、僕の中でも藤田の持つカラーというのは、乳白色の下地に細線というイメージ(それもかなりあいまいなイメージ)しかありませんでした。しかし、今回の美術展を通して決してそれだけの人ではないと思いました。個展、一人の人が作り上げた世界にして、これだけの幅の広さを持っている人は、そうはいない。
個人的にはダリやピカソと似たような性質を持った画家ではなかろうかと思います。去年見た佐伯祐三の個展を見たときは自分のスタイルを見つけるまでの格闘の記録で、ものすごく、水面下の努力が見えるなと思ったけれど、藤田の場合、他者に影響を受けるものの、それらをあっという間に消化し、自分の色に変えてしまう、そんな天性の才能を感じました。
前半、比較的凡庸な自画像から始まるのですが、そのあとすぐキュビズム、エジプト美術を取り入れ、モディリアーニ、ルソーから着想を得たと思われる数点が続き、そのあとすぐに乳白色の世界に突入。
これだけまとめて乳白色の絵を前にするのも、もちろん初めて。「美の巨人」で取り上げられた自画像より、魅せられてしまったのは、1連の裸婦のシリーズ。
この人の描く裸婦は何か特別なものだと感じました。それは乳白色のつるつるの下地と細線という藤田の絵画の特徴に最も寄り添ったモチーフだからなのかもしれない。藤田のここでの線のすごさは、線をほとんど一本で引いていること。90センチくらい線のつぎはぎが見当たらないのです。これには眩暈すらしました。神業です。線というのは一本で引ければ、強弱をつけなくてもあれだけ人を魅了できるものなんだと目から鱗が落ちる気分でした。
乳白色の絵肌は女性の美しい肌としてそのまま機能し、裸婦の柔らかい輪郭は細線の繊細さを打ち出すために最もしっくりきているモチーフだと思いました。
しっかり目的と手段を選んで描いている藤田の自己プロデュース能力の高さを感じました。あの摩擦の少なそうなつるつるの絵肌に触れてみたい、何度そう思ったことか。西洋の絵を見慣れた目には、全くジャンルも次元も違うものに見え、同じ絵画とは思えなかった。あの乳白色の下地には様々な工夫がされていて、それは絵によっても違うのですが、膠(にかわ)鉛白、炭酸カルシウム、バリウムなどが検出されたそうです。しかし、藤田の細線は墨を面相で描いたもの、水性の墨をどうやって油性のキャンバスに定着させたのか、その方法は未だ完全には解き明かされていません。
「アンナ・ド・ノアイユの肖像」という絵がすごかった。人物を真ん中に一人配して、あとは余白という非常に度胸のいい絵。あれは画家に相当な自信がなければかけない絵。服の装飾の緻密さ、デッサン力をあからさまに見てくれよと云わんばかりの絵でした。
「ライオンのいる構図」という非常に大きい絵があって、この絵の対になる絵がもう一枚あるそうですが、修復の済んだこちらの絵だけがきていました。両方そろったところも見てみたいですね。この絵はシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの壁画を見てトライしようと思ったのではと言われています。
続く「三人の女」という悪趣味で下品な絵も藤田らしくなくて逆によかったです。すごく油彩べったり乗せているのは異質でした。あれは僕的には西洋の絵に対する皮肉めいた絵じゃないかな、なんて思いました。
その後の、「死に対する生命の勝利」はトロンプルイユとシュールレアリスムの要素を持っている絵。またその次の「眠れる女」は乳白色とほとんどベタの黒による激しい対比。
この短い期間に藤田はこれでもかというくらい様々な実験を試しています。
藤田は新しい芸術を求め、18年住んだパリから中南米に渡り、リベラ(フリーダ・カーロのだんなさん)と交流を持ち、彼の壁画に強く惹かれていきます。メキシコ時代の藤田の絵は写実性と色彩の鮮やかさを追求したものでした。この頃の絵画には壁画=公的な場で大勢の人に共有される芸術、という図式を汲みいれた側面があり、イラストレーション的な要素が強く、僕にはあまり響かなかった。鮮やかさが増した分、細線の魅力が半減してしまったような気がしました。
ただこの頃の藤田の絵を注意深く見ていると、生活感がどの絵にも表れていることに気付きます。色んな生活用品がランダムに散らばっていて、どことなく賑やかで楽しそうで、きっと人間の生活の風俗的な面を描きたかったのではないかと思います。そこには下町育ちの江戸っ子気質がよくあらわれているんじゃないかな、と思いました。日本に戻ってきてからの彼の絵にも日本の文化を愛している気持ちがとても伝わってきます。「我が画室」「自画像(1936年)」などをみるとそれを強く感じます。そのあとの猫がたくさん乱舞する奇妙な構図の絵、文字通り「猫」という絵や、「Y夫人の肖像」も見事で優雅だったことを付け足しておきます。
そして、照明がやたらと暗い戦争画コーナーに引き込まれていきます。急にカオスが降りてきたように明らかに異質な雰囲気を放っている、その部屋には藤田の戦争画をまとめて展示しています。
ここで一気に目が覚めた気がする。この戦争画を見て、プロパガンダ的に気持ちを奮い立たせられるとは考えにくいし、かといって反戦的とも思わなかった。ただ、そこには有無を言わさない迫力と圧倒的な力強さを持つ絵画があるだけでした。中でも「アッツ島玉砕」と「血戦ガダルカナル」の迫力はすごかった。これまでの藤田絵画からは想像できない厳しさと緊張感のある絵でした。藤田がドラクロアに対して熱弁したことがあったそうですが、戦争がよきにせよあしきにせよ、こうした重いテーマの群像劇を描ききるということに藤田はチャレンジしたかったんだと思う。スタイルこそ全く違いますが、藤田の乳白色シリーズで見せる細線とこの重く暗い色調の戦争画に見られる緊張感、あい通じるものがあると思います。それは芸術的というよりは日本人的な職人のプライドを賭けた闘争だったのではないでしょうか。いろいろ藤田の戦争画には賛否両論あると思いますが、素晴らしい芸術は意味を超えるものであってほしい。この絵を単にプロパガンダの道具や反戦メッセージの絵と括ってしまうのはもったいないことだと思います。現に僕の隣で見てた年配の婦人は、戦争そのものの話をしだして、絵自体について何も見れていないと思った。なんかそういう見方しかその時代の人はできないのか、と思ってがっかりしました。
戦争画シリーズを抜けると、レオナールフジタ(洗礼名)時代の作品に突入します。いよいよ後半戦。ここから藤田芸術は更に幅を広げ、深みを増し、より唯一無二の存在へと進化していきます。
サロン・ドートンヌで出品した全ての作品が入賞したのもうなずける。今までの藤田の絵で充分満足していたのに、後半の藤田の絵はそれを軽々と飛び越えてしまうものでした。まるで、ここまでの藤田の絵は単に種まきで、それがここにきて開花したように、今まで培ってきたものを全部ぶちまけてやろう、そんな気合を感じました。まさに集大成。「優美神」の花の華麗な色彩にはじまり(エデンがあるなら、こんなところであってほしいと思わせるほど色彩が鮮やかで美しい。この絵ほんと好き。)「私の夢」では、トレードマークの猫だけではなく様々な動物が登場し、乳白色の頃の裸婦にリベラの色彩をプラスしたような展開を見せています。
しかも今までのものを単に組み合わせるだけでなく、新しいものに常にチャレンジする、それが藤田なのです。ここには童話的な要素もその姿を表していきます。「動物宴」「ラ・フォンテーヌ」なんかはまるでピーターラビットの世界。
それからこれも後半、キーとなる事柄なのですが、藤田には生涯子供がいませんでした。そのせいかこの頃から、絵の中にだけ登場する自分の子供がたくさん描かれるようになる。藤田の絵には戦争画の時に現れた強さとは全く別の優しさや愛が溢れ出ていました。それが最初に現れるのは「二人の祈り」という絵です。
ここから展示されている作品は捨て絵がないといってもいいくらい良作が多いです。チケットにも印刷されている「カフェにて」は間違いなく傑作だし、「すぐ戻ります」は藤田流のユーモアがたっぷり詰まっている面白い作品だし、「ジャン・ロスタンの肖像」はノーマンロックウェルのようにいい雰囲気と写実主義を打ち出した作品になっています。
そこから、愛と平和というテーマが似合いそうな子供たちのシリーズが始まり、「小さな主婦」「朝の朝食」という子供が大人の格好をしている二枚の愛らしい絵と続きます。「誕生日」というこれもまた子供達の絵(これもすごく愛らしい。女の子に人気ありそうな絵。)。子供達の絵はまだまだ続きます。「アージュ・メカニック」「校庭」。ここからは子供達を小さな何枚もの厚紙やボードに描いたシリーズもの「フランスの富」「小さな職人達」が展示されます。子供達が様々な職業の格好をして働いている連作もの。そこには実際には存在しない子供に対して未来を託すような気持ちを読み取ることもできます(藤田にとっては作品に未来を託すということですが。)。藤田にとってこの頃アトリエに遊びに来る子供達に囲まれて過ごすことが、とても心を癒してくれる時間になっていたのだと思います。戦後の日本に捨てられ、フランス国籍に移ったものの、藤田には依然として日本への郷愁がありました。帰る場所が無く、自分が何人かもわからない、そんな状況になればきっと家族の切れない絆、ぬくもりが欲しいと思うのは当然のことだと思うのです。藤田が戦争を肯定したかどうかはわからないけれど、この後半の子供達の絵を見ると、全くそんな気はしない。もし、そうだったとしても藤田が日本を愛していた日本人であることははっきりしています。とっても楽しくてかわいくて明るい絵なのに、どことなく淋しさを感じるのは、そんな背景があるからかもしれない。アイデンティティーを失うことってとても怖いことなんだな。普段僕らは日本を自分の国なのにくさしているけれど、ある日帰る場所をなくし、自分が何人かわからなくなる、そんな日がきたら、どれだけこんな国でも自分に大切だったか気付くのかもしれない。そんなことも思いました。
子供達は平面の世界を抜け出し、藤田の生活用品の様々に顔を出します。お皿、グラス、コップ。藤田のグッズコーナーはすごくおしゃれでかわいかった。
ラストはドートンヌ入選作品がずらりと。「礼拝」「キリスト降誕」「磔刑」「キリスト降架」。完成度のアベレージが半端なく高い藤田ですが、入選作品はさすがにその中でも群を抜いて高いです。僕はやっぱりこの並びに一番圧倒されましたね。すごすぎる。すさまじい出来ばえです。「黙示録」の3点はまた今までとは全く違った世界の展開を告げています。ボッスの「快楽の園」を思わせるような恐ろしいカオスの世界を描いているのですが、これはこれでまた画風もクオリティー的にも完成してるから驚きです。この人はほんとに死の間際まで挑戦し続け、どれだけ未開の地を切り開いていく気なんだろうと思いました。
締めの絵は「マドンナ」でした。藤田自身、最後は自分の教会を手がけて亡くなります。
こんな素晴らしい画家を眠らせておくわけにはいかない、それを本人も望んでいないはず。作品には日本に対する愛情が詰まっています。モチーフにせよ、日本の墨と伝統技法を油彩の世界でぶつけたことにせよ。そして自分の技量を子供が大人の前で自慢するように、藤田の絵には常に画家、職人として自分はどこまでできるのか、その自負が見え隠れしています。今後、藤田が日本人であることを皆が認めるよう、誇れるよう、日のあたる場所へ連れ出さなきゃ。もう僕らは戦争を知らない。そろそろ解き放たれてもいいんじゃないかな。藤田が絵の中で子供に託した未来を僕たちは生きているのだから。

(ちなみに岡本太郎の実力を見出したのも藤田でした。)
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  1. 2006/04/25(火) 02:36:39|
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