イラストレーター秋山亜軌の日記を中心としたブログです。イラストレーターとしての活動報告をはじめ、美術や映画、音楽の話、興味のある出来事など、幅広い話題を独自の意見を絡めて執筆しています。

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スーパーエッシャー展

●1月4日 スーパーエッシャー展
去年やり残した美術鑑賞、第二弾はエッシャー展。渋谷のブンカムラまでおでかけしました。
なぜ冠に「スーパー」をつけたのかは最後までわからなかったけれど、エッシャーにどれほどの知名度があるのか、そんな主催者側の不安が読み取れるようなタイトルですね。エッシャーの作品はいいし、面白い。盛り上がりもよさそうだ。でもメインを張るのはダリに対抗するには頼りないな、そうだ、せめて「スーパー」と付けて箔をだそう、みたいな。ダリとエッシャーの美術展が同期に別の美術館で開催される、それは偶然とは思えないのです。でもそんな心配をよそに、はるかに予想を上回る人気ぶり。僕もエッシャーを甘く見てました。もうちょっと空いてると思ってました。チケット売り場は45分待ち。まずはチケットを買うのに一苦労でした。

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↑ダリに比べればマシでしたが、こちらもなかなか混んでましたよ。

今回連休を使って、ぶっ続けでダリとエッシャーを見たのですが、個人的にはとてもいい意味で両美術展は対比になっていたような気がします。誰に云わせても、天才と云うであろうダリに比べ、エッシャーは努力家、研究家の秀才タイプといった感じがしました。タイプ的にはミュシャなんかに似てる。果てしない実験と検証の末、ようやく1枚の作品に取り掛かるというタイプですね。
この美術展はテンションの上がり下がりが激しかった。前半、並みの版画家であったエッシャーがだんだん物事を斜めから見るトリッキーな視点を獲得していく課程が面白くワクワクしたと思えば、中盤の旅の風景、正則分割の章では食傷気味な感じで失速。後半では正則分割もモチーフや構図に幅が出てきて、面白くなってくる。ラストのだまし絵ではメッセージ性のようなものまで感じられ、なるほどと思わされる良作に満足度も膨れ上がってくる。
エッシャーが版画という手段を使っていたのが、とてもよかったと思う。版画には線だけを際立たせる効果がある。絵画ではもっと要素が増えてしまう。1つ1つの刻まれた線を鑑賞者が辿っていくことで両者に温かい関係性が生まれる。もしこの人が他のもので表現をしていたら、もっと無機的で冷たいものになっていたでしょう。それほどに数学的、科学的な論理性に基づいて作り込まれた作品がエッシャーの世界なのです。芸術というものを考えると、ある程度偶然性に頼っている部分があると思うんですが、この人の作品には偶然性は皆無。全てはエッシャーが仕掛けたトリックであり、彼にとっての快感はそのゲームををいかにして完全犯罪として成立させるかにあったのでしょう。
僕としては、彼の人生が2度あれば、もっともっと面白くなったのではないかと思っています。本展で見る限り、この人の作品は実験と検証の期間が比重として長いので作品に結実するまでやたら時間がかかってしまいます。晩年になればなるほど、複雑に巧妙に彼のトリックに磨きがかかっていくのがわかります。僕みたいにのらりくらりとやっている人には人生は1度で充分ですが、こういう人が自己実現するには2倍くらいの時間が必要なんじゃないかな、と思います。
ダリと比較して分析するなら、ダリは芸術のオールラウンドプレイヤー。古典から現代までの技法をマスターしている絵画辞典のような人。その一方で偏執狂的で、強迫観念的。メディアに出たがり。アバンギャルドで新しいもの好き。
エッシャーは引き篭もりの版画オタク、作家としてはあくまで裏方に徹した。潔癖症で完璧主義者で、職人的。
ざっと、並べてもそれだけの違いがあります。では、共通点。共に基本ネガティヴ思考で、自分や世の中に対する批判、不安、怒りを表現しています。けれど気付かれないように、シュールやトリックという服を着せて、時には誇張し、茶化し、玄関は広めに空けておく。楽しそうだと何も知らずに世界に足を踏み入れると鑑賞者達はいつの間にそこに潜んでいる毒にサブリミナルのように侵されていく。そう考えると、エッシャーがサイケデリックの人々から熱く支持されたのもわかります。2人とも非常にプライベートな問題を扱ったけれど、それがより多くの人々に浸透したのはパッケージに面白さ、中毒性があったから。
僕がこの2つの美術展で1番学んだことは技術でも構図でも線でも色彩でもなく、いかにして人を驚かせるか、ということに執着するサービス精神というか、こだわりでした。
エッシャーは人というより自分が驚きたいという気持ちで制作してたように思いますけどね。数学者は数学の理路整然とした公式に美しさを感じるというし、理論が弾き出す永遠にロマンを感じていたと思う。永遠というものは数式の中では存在するから。エッシャーはずっと暗い地下室で、精神と時の部屋のような世界で制作に没頭していたんだろうな。時に独り言を云って、理論が刷り下ろした紙の上で上手く成立するとにやりと笑って、それが世に出てどういう反応が起きるのか、楽しみで仕方ないって感じだったろうな。
逆にダリは、おしゃれに奇抜な格好で外に出て行って、自分が影で汚い格好で苦心して描き出した作品がどう評価されるのかをダイレクトに感じたかったんだろうと思います。
美術館に行って、絵画とそういう語らいをするのもまた楽しみ方の1つです。これはなんらか作品を作ったり発表する機会のある人じゃないとわからない楽しみ方かもしれないですけどね。もっと色んな見方ができると思うんです。
では、最後に気に入った作品を少しずつ紹介します。

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↑「カストロヴァルヴァ、アブルッツィ地方」。
前半ではこの版画にひきつけられました。エッシャーが世界の風景を描いていた頃の作品。まだ作風というのが出来上がってない時代なので、そのままを描いている(構図は実際の見え方と変えて、絵になるように工夫してはいるけど。)。だから元々面白い景色を描いた絵は面白いし、そうでないものはつまらない。実際、イタリアの風景はすごいんだろうな。僕がここで特筆すべきは雲の捉え方。こんな風に雲を描いた絵は見たことがない。間違いなく私的には前半のハイライト。24の寓意画シリーズもよかったけどね。

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↑円の極限Ⅳ(天国と地獄)
中盤、正則分割の実験と検証の同じような作品が続き、マンネリしてくるのですが、ポツポツと実を結んだような作品が現れはじめます。最初、平面で魚だけ、蜘蛛だけ、という同一のモチーフで正則分割していたものが、複数のモチーフを組み合わせたり、立体的になっていったりすることで、正則分割に深みや動き、意味が生まれてきます。「昼と夜」という作品は正則分割と風景を組み合わせ、鳥の動きと時の流れを1つの画面で表現する画期的な作品。「空と水」は魚がだんだん鳥に変化していき、循環を繰り返す世の中のシステムを表現したような作品。ここではモチーフを単純化させることによって全体的なごちゃごちゃ感を抑えすっきりとした見栄えにするような工夫も見られます。
そして、円の極限という版画シリーズのⅣ、「天国と地獄」では、天使と悪魔というモチーフを選ぶことによって、エッシャーのテーマのような無限性を最大に引き出すことに成功しています。僕はこれは最先端の宗教画と呼んでもいいんじゃないかと思う。その後、立体作品にも正則分割を反映させていきます。
次は球面鏡を利用して実験と検証の作品が続き、「バルコニー」という名作が生まれる。エッシャーはそういうたくさんの習作の果てに傑作を1、2点生み出すというサイクルを続けていきます。

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↑「でんぐりでんぐり」
エッシャーがボッスに影響を受けているのはなんとなくそうだろうなと思っていたので本当にそうだと知った時は少し嬉しかった。ボッスは世紀末、混沌とした社会の中で、当時では考えられないような鬼畜な宗教画を描いた画家です。おそらく今あるモンスターという概念を生み出した最古の人で、そのカテゴリーでは誰も勝てないでしょう。エッシャーのだまし絵にはボッスの絵画で出てくる衣装を着けた人物まで登場するくらいエッシャーはボッスの世界に魅せられていた。この「でんぐりでんぐり」もおそらくはボッスの影響で生まれたものでしょう。このモンスターがだまし絵の中で乱舞する「階段の家」も非常に面白く、鑑賞者からの人気も高かったように思います。でんぐりでんぐりは想像上の生き物ですが、完璧主義なエッシャーですから、そのアクションも実際理にかなっていて、動作可能なもの。動きまで想像できると説得力が出てきます。ちょうど、今自分の絵でもキャラクター制作が流行ってまして、僕も見習いたいと思いました。エッシャーはこっちのキャラクター制作の方面でもっとがんばってもよかったんじゃないかと思います。もっとこっち方面でもみたかったな。完璧主義者ゆえ、大量生産ができないのがこの人の弱点ですね。

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↑滝。
いわずと知れたエッシャーの最高傑作。これに限らず、後半のだまし絵シリーズはエッシャーの突出した才能を見せてくれます。「上と下」、「物見の塔」、「上昇と下降」。永遠に続く数式のような世界に迷い込んだ、限りある儚い命を持った人間が生活している。あるものは物憂げに考え事に耽り、またあるものは上を目指そうと前進する。入り口や出口があるのか、ただ繰り返しを続けるのか、そんな問題定義をエッシャーの絵から感じます。個人的であれ、世界的なことであれ、関わっていく深いテーマです。僕らは答えを出すために生まれてきたのか、それとも謎解きをする課程が人生なのか、永遠に解けることのない知恵の輪にえんえんと時間を費やしてしまうように、エッシャーの絵には立ち止まってしまうのです。
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  1. 2007/01/04(木) 20:45:07|
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